こんにちは、管理課の玉中です。
散歩がてら山林を歩きに行く第16弾。鳥取県の湯梨浜町にある伯耆一ノ宮(ほうきいちのみや)へ行ってきました。

伯耆一ノ宮は鳥取県東伯郡湯梨浜町にある地域で、先日別のブログ記事で紹介した『燕趙園』と同じく東郷湖に隣接した場所です。
本社のある宍粟市からは車で2時間弱ほどかかります。
ここには国指定史跡の『伯耆一ノ宮経塚』があるので、そこをゴールに歩いてみました。

まずは史跡のある神社の手前に『安産岩』という史跡があり、その横にある駐車スペースに車を置いてスタート地点とします。
『安産岩』は日本を作った神様・大国主尊(おおくにぬしのみこと)の娘である「下照姫(したてるひめ)」に縁があるとされる岩です。
毎回難産に苦しんでいた女性が願かけをし、その満願の日の夢に倭文神社の女神、下照姫命が姿を現しました。参詣の帰途、女性はこの岩の所で簡単に出産したため安産岩と呼ばれるようになった。
と言い伝えられています。

ここはまだアスファルト舗装された普通の車道が続いており、1分ほど行くと神社の参詣者用駐車場もちゃんとありました。
神社の駐車場から2分ほど進むと鳥居と門に到着。
アスファルトで舗装されているのはココまでです。


この神社は『伯耆一ノ宮倭文神社(ほうきいちのみやしとりじんじゃ)』といい、先ほどの安産岩があるのはこの神社の参道沿いとなります。
主神は建葉槌命(たけはづちのみこと)です。
建葉槌命は日本神話の中では天羽槌雄神(あまのはづちおのかみ)という名前で登場する織物の神様とされていますが、その一方で神話に登場する神様の中でも最強の武神だという説もあります。
神社の名称にもなっている「倭文」も織物のことを表す言葉で、当時は織物産業がこの地域で盛んだったと言われています。
現在では上記のように建葉槌命が主神となっていますが、神伝としては安産岩の逸話にも登場した下照姫に関するものが圧倒的に多いです。
下照姫は伊勢神宮と出雲大社の道中に当たるこの地に根を下ろし、農業開発や医療の発展に寄与したとされていて、倭文神社も大正時代くらいまでは下照姫が主祭神だったと言われています。

お参りした後はお目当ての経塚の史跡を目指して神社の境内の一角から山を登っていきます。
延石で設けた階段が山の中へと伸びています。

道の脇は杉などの針葉樹と広葉樹の中低木が入り混じった雑木林の装丁となっています。

鳥居横の山道入口から5分かかったかどうか、しめ縄で囲まれた場所が見えてきました。
ここが『伯耆一ノ宮経塚(ほうきいちのみやきょうづか)』です。


1915年に行われた発掘調査によって、中央の窪んだ部分から輝石安山岩の平石で囲み、蓋石で覆った長さ1.2m、幅0.9m、高さ0.5mの石槨(せっかく)が出土しました。
かつては神話からの流れで下照姫のお墓なのではないかという説もあったそうですが、この出土品から平安時代後期の1103年に築かれたものであることがハッキリしたそうです。
地中に埋められていたものにしてはかなり綺麗な状態だったそうで、経筒から倭文神社が伯耆国の一宮であった裏付けを取れたり、貴重な観音菩薩像などが発見されています。
出土品の中には奈良時代の作品とみられるものもあり、1920年に国の重要文化財として指定されています。
その後、1953年に経塚自体が国指定文化財となっており、出土品は国宝として東京国立博物館に寄託されています。

山林を歩くにはかなり短い距離でしたが、あまり知られていないところにも歴史があり、面白いなと思いました。
新築事業部 管理設計 玉中健太
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