こんにちは、設計の玉中です。
2月に高校時代の友人達と伊豆半島へ一泊二日の旅行に行った際のお話です。
初日はいつも通り目的地の最寄りとなる新幹線の駅で集合。今回は三島駅です。
そこから伊豆箱根鉄道に乗り換え、最初の目的地である韮山反射炉のある伊豆長岡駅へ移動します。
伊豆長岡駅前の観光案内所でレンタサイクルを借り、反射炉まで約10分のサイクリングです。
到着しました。
韮山反射炉は『明治日本の産業革命遺産』を構成する1つとして2015年(平成27年)に世界文化遺産に登録されました。
幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させました。韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。
当初は江戸内湾への台場築造と並行する形で下田での建造を進めていました。
しかし、着工から3ヶ月ほど経った頃、ペリー艦隊の水兵が敷地内に進入するということが起こり、安全上の不安を感じて急遽現在の韮山に計画を変更したという経緯があったようです。
既に反射炉建造を行っていた佐賀藩の協力を得て、3年半の年月をかけて1857年に完成しました。
1864年に幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。
実際に稼働していたのは僅か7年ほどだけ、ということにも驚きですが、
それから150年以上が経った今でもほとんど当時のまま残されている貴重な存在です。
施設の入口を兼ねている資料館では韮山反射炉についてだけでなく、製鉄そのものの歴史や韮山を含む伊豆半島の政治・経済の歴史などについても展示されています。
資料館の中を順路通りに見て回ると外に出る経路になっていて、反射炉の前まで来ました。
ボランティアガイドさんのツアーも随時行われており、偶然その後ろに陣取ることになったので途中までは一緒にガイドさんの話を聞きながら進みます。
反射炉はその名の通りドーム状になっている炉内の天井で熱や炎を反射させることで、手前にあるロストル部分という燃料を燃やす部分から鉄を置いておくスペースまで熱を届けます。
韮山反射炉は煙突が約15.7mもある煉瓦積みとなっていて、高い煙突によって炉内にたくさんの空気を送り込み、効率良く鉄を溶かすことが出来る仕組みです。
燃料を燃やすロストル部分を見上げた状態です。
手前に見えている黒い格子の上に網のようなものを置き、燃料を乗せます。
すると下から空気を吸い上げながら燃焼するため、効率的に炉内へ熱を送り込めます。
奥に見えている2つの四角い穴は炉内に入った灰を掻きだすためのものです。
こちらが炉内にものを入れるための穴です。ロストル部分を正面とすると左側面に当たります。
向かって左は炉内に溶かすための原料・鋳物鉄を入れるための穴。
屈めば何とか人が入れるくらいです。
右の穴はロストル部分の真上に開いていて、燃料の石炭を投入するための穴となっています。
そしてロストル部分の反対側・出湯口側です。
左下にある丸い穴が出湯口で、炉内で溶けた鉄が流れ出て来る場所になります。
炉内の温度が落ち着いた後に上の四角い穴に首を入れて覗き込み、右下の穴から火搔き棒のようなものを突っ込んで鉄の残りくずを掃除します。
反射炉の周辺を見終わったらそのまま続けて、少しだけ山を登った茶畑にある展望デッキへ。
実はこの茶畑、中三の時に修学旅行で茶摘み体験をした場所で、卒アルにも載っています。
天気が良ければ反射炉の向こうに富士山が見えるそうなのですが、あいにくの曇り空。
最後に歩き回って小腹が空いたのでお土産物屋の「反射炉物産館」で肉味噌マンを食べて、駅の方へ戻ります。
伊豆旅行-1はここまで。
次回は伊豆長岡の町中をウロウロします。
新築事業部 管理設計 玉中健太
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