1945年に終戦を迎えて79年。あと一年で80年の節目です。日本国内、都市部は焼け野原。田舎の山間地は資材を出したことで、禿山と労働力不足で青息吐息の状態だっと言います。国中が今日の食べ物もままならないところから奇跡の経済発展の戦後。いったい何が起きたんだ?と、70〜80年代に注目をされ、日本の製造業が世界の手本になりました。それも今は昔です・・・。そんな中で注文住宅というものが、国内需要においては、戦後最大のヒット商品だったのではないか?と私は思います。
戦後すぐの進駐軍による政策の中で、農地改革と財閥解体というものが行われました。これによって、それまでの偏った財産の再配分がされます。昨日まで小作だったのに、急に農地や土地持ちに。数年すると生活に困ることがなくなり、自由と平等という社会概念が生活をバックアップ。長屋の借家住まいが当たり前だった時代です。三渡家ももちろんこの長屋住まいでした。それが、それまで考えたこともなかった持ち家住宅(夢のマイホーム)を所有できる状態になりました。
そもそも、戦前において、都市住宅の8割が借家でした。一億総中流階級という理想が掲げられ、1950年住宅金融公庫設立、1951年公営住宅法、1952年厚生年金保険積立還元住宅資金貸付開始、1955年住宅建設十ヵ年計画、1955年日本住宅公団設立と、住宅供給体制がどんどんと整備され戦後復興がなされます。その1950年代後半、今でいう大手ハウスメーカーが、一定品質の住宅を大量に作る工業化住宅=プレファブを作り始めます。この頃だろうと思われるのが注文住宅という商品のスタートだったのではないでしょうか?
注文住宅という響きがその頃の日本人にはジャストミートだったと思います。我慢に我慢を重ねた戦前の世代。日本のほとんどの人が尋常小学校を卒業したら、家業を継いだり、丁稚奉公に出たりして、多くの人が蓄財をすることも贅沢な時代。借家暮らしが当たり前で、住宅を自分の思い通りできるという概念すらなかった時代に成長した人たちだったんです。そんななかに、注文通りに家を作ってもらえる!と連想させる、注文住宅という商品。一体誰がこの大発明をしたんでしょいうかね?本来、難しくて複雑な住宅づくりという価値を、注文通りに作りますよと、たった一言でプラスの価値観までつけて言い表したこの商品名。誰が考えたのか?それは分かりませんが、もう天才としか言いようがありませんよね。
若い頃、商品とは何か?というのがわからずに悩んだ時期がありました。
●ヘーベ◯ハウス、シャー◯ッドなど、大手メーカーさんの商品ネーム。また、ヤマヒロでしたら、しそう杉の家というブランドネーム、これらが商品なのか?
●それとも、全館空調、高性能断熱など、設備や部材やその性能を表す言葉。これが商品なのか?
●はたまた、庭と繋がる家、豊さだけではなくゆとりを得られる家、水回り動線の良い家、自然素材の家などなど、スペックやそこから得られる価値観。これが商品なのか?
●さらに、アフターメンテやアフターサービス、報連相や現場対応など、サービス面のことまで。
商品という言葉は、大きな枠組みから単なるブランドネームや部材スペックまで、さまざまな段階で当てはまりますので、扱っている我々作り手や売り手側がわからなくなっています。自分たちは、お客さんに、一体何を売っているのか?どんな価値をお勧めしているのか?それがきちんとわかってやれている会社とそうでない会社では、顧客価値に大きな差が出てきますよね。
そこで最近の注文住宅に対する考察で初めて気づきました。あ、なるほど。注文住宅というもの自体が商品だったと。しかも我々の業界では、戦後最大のヒット商品だったんですね。この商品の中に、大手メーカーさんをはじめ、いろんなブランドが存在しました。そのヒット商品が、人口減、世帯数減、コロナを挟んで資材高騰の影響を受け、全国的に着工数が激減しているのが今の現状です。
激減の原因は確かにいろいろ考えられますが、しかし、本当の要因は、注文住宅という商品ネームの賞味期限切れなのではないでしょうか?現代、家づくりに本当に求められているのは別の価値観なのではないか?今や、注文通りに家が立ちますよ!というだけでは満足できない。もっと別の価値が無いの?プロならば、それを示してくれよ!と、市場に言われているのかもしれません。その新しい価値観を込めた商品の発明が求められている時代だということなのではないか?そんな気がするのは私だけでしょうか?