住宅事業部の歴史探偵でもある北岡です。
最近のブログを見られた方は、単なるB級グルメの好きなオジサンと思っておられることでしょう。
半分、合っていますが、実は知的な所もあるので、ちょっと違うんですね。
今回は、岡山城に立ち寄ってきたので、そこのところを説明します。
岡山城の天守は、豊臣秀吉の大阪城と同じように外壁は黒塗りの下見板で覆われ、烏城(カラス城)の別名もあります。
岡山の地を戦国の表舞台に立たせたのは宇喜多直家。その息子の秀家が岡山の丘に本丸を定め、今に残る岡山城を築きました。築城は豊臣秀吉の指導があったので大阪城の仕様に似ているんですね。
また堀づくりには、多岐にわたる旭川の河道を利用して、流れを城の北や東を守るように整えたり、堀の間に南北に長い城下町を作り上げている特徴があります。
小早川秀秋、池田忠継が岡山城主になります。この池田氏の嫡男・利隆が姫路城主になり、私の住んでいる姫路と岡山は密接な関係があるんです。
天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているのも特徴ですね。土台になった岡山の丘の地盤に合わせたためといわれています。
住宅事業部第二課 住宅設計&不動産部 北岡 大実
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