2019年2月8日、令和が始まる前、平成最後の年に亡くなった堺屋太一さん。亡くなるちょっと前に執筆された本がこれ『三度目の日本』。私にとってはなるほど!やっぱそうやわな!という一冊です。これについて書いていきます。
まず、この本の中で“価値観”がこう定義されている。価値観は世の中の一番の“基”であり、あらゆるものの形を決める。これを構成する要素は美意識「何が美しいか」と倫理観「何が正しいか」。
さすが!なるほどですよね。非常に端的に“価値観とは”が表現されています。私は丸ごと納得。みなさんはどうでしょうか?
さらに頭を殴られる思いをするのは、この価値観が、内・外的要因により、大きく変わる、変えられる事を「敗戦」という。この「敗戦」を迎えた時、世の中は大きく変化するのだとか。
著者は言います。近代の150年、日本国は時代の転換期、つまり「敗戦」を二度迎えている。
まず1回目は、幕藩体制が崩壊した明治維新。江戸時代は戦国動乱から多くの血を流し、英傑たちが作り出した価値観を持っていました。それは封建社会の上下関係を変えないこと。そのために鎖国も取り入れ、世界から科学文明の発達の遅れという犠牲をとってでも守りたかった価値観。260年の太平の世の中は多くの文化を生み出し、識字率50%という当時の世界最高の民度を作り出しました。しかし、その社会の持つ矛盾や外圧によって明治維新という「敗戦」を迎えます。この後、世界の帝国主義国家に飲み込まれないため、新しい価値観が作り出されました。それが「一度目の日本」です。その価値観は“強い日本”。富国強兵政策がとられ、日清、日露戦争を乗り越え、アジア最強国になります。
そうして明治維新から77年の時を経た1945年、大東亜・日米の戦争に敗れ、またもや「敗戦」を強いられました。その敗戦から立ち上がるために作られたのが「二度目の日本」。この価値観は“豊かな日本”でした。昭和生まれの方ならば理解いただけると思いますが、終戦後〜復興期〜高度成長期を見てみると、とにかくモノがなかった。つまり、あれも欲しい、これも欲しい。金さえあれば買えるお手軽な夢がたくさんありました。“冷蔵庫、洗濯機、テレビ”の三種の神器を揃えるのが庶民の夢って感じのことです。活気に溢れ、モノを作れば飛ぶように売れた時代。今までのモノよりもより多くの機能を取り揃えた新機種が出れば行列。国民の年収も倍々ゲームで上がっていきます。それにつられるように物価もインフレ傾向。やがてモノづくりは規格大量生産、オートメーションになり、世の中は多くのモノに溢れていきました。そうして迎えたのが平成時代です。
著者は本の中で“平成の敗戦”という言葉を出しています。平成は31年もあるのに、何を持って敗戦?と一瞬思いましたが、平成の31年間そのものが「敗戦」なんですね。
平成は始まり当初からバブル崩壊という大きな変化がありましたね。当時の私は大学生でした。先輩たちはバブル経済の名残で就職活動などは囲い込み、青田刈りで、売り手市場真っ只中だったのですが、ものの2年ほどで、私たちの年にはそれが180°手のひら返しの就職氷河期。それまでの過剰採用のため、採用枠は限りなく狭まりました。なんとかかんとか就職ができたものの、そこから先の30年間、みなさんご存知デフレ時代。平均賃金は先進国で唯一日本だけがマイナス。先の大戦の4年間に日本国土が絨毯爆撃をされたように、“平成の敗戦”では30年間をかけて、日本経済はデフレ爆撃状態でした。昭和が終わる頃には、すでに世の中はモノが溢れ、隙間がない十二分に豊かな日本になっていましたが、なんでもあるけど欲しいモノはない。そんなジレンマに陥った状態で始まった平成。それが終わりを迎えてはや4年です。
著者が言うように、この平成30年間は、「豊かな日本」という価値観を達成し、次の価値観を生み出すための「敗戦」だったと捉えるのも面白いでしょう。
そうすると、この次の日本、「三度目の日本」は?どんな日本?どんな価値観?その美意識は?倫理観は?それらを踏まえて私たちの商品はどうあるべき?これからの住宅のあるべき姿は?
本の中で、著者の堺屋太一は『「三度目の日本」は“楽しい日本”にするべきでしょう。』と言い切りました。
「楽しい日本」が合っているかどうかは、後々の世の人たちが判断すると思います。しかしながら、著者が未来を生きる日本人に遺した最後の提言です。
え?それだけ?という方もいらっしゃるかと思いますが、多くの捉え方ができる“楽しい”という言葉。かなり深い。これは難題であり、これからを生きる我々のチャレンジすべき課題ですね。ヤマヒロもこれに果敢に取り組んでいきます!