私は大学〜修行時代の10年間、東京と神戸におりました。東京5年、神戸5年。(神戸の最後2年間は結婚して子供もいました。)
独身で若かった時期はやはり都会の生活が面白かったですね。なにせ、電車に乗れば車内広告。ちょっと出かけただけで流行りがわかるお店が並び、そのお店もどんどん入れ替わるので飽きが来ない。便利であると言うだけでなく、常に刺激が脳みそにダイレクトに届きます。特に東京は日本全国から人や情報、流行商品が集まってきますので、住んでいるだけでアイデアの宝庫です。
でも、結婚して子供ができてからはガラッと変わりました。今までのようにワンルームでは足りませんので、2LDKに引っ越したのですが、まずはお金の問題に直面します。高いんですよね。まだまだ駆け出しでしたので、給与から家賃を引くとカツカツの状態です。それに乳飲児を連れてちょっとした買い物に行こうとしても、ベビーカーを押して行くにしてはそこそこ歩かないといけませんし、重いものを持っての帰りがけは嫁さんも大変だっただろうと思います。ならば車で買い物に行くとしますと、まずは渋滞。そしてショッピングセンターの駐車場に入るにも順番待ち。出るときには駐車場代金。毎日の買い物は、子育て中の私の嫁さんにとって、戦争のように大変だったんではないでしょうか。
休みの日も、子供を遊ばせようと公園に行くとします。かなり遠出をしないと大きな公園には行けませんでした。マンションでしたから、ママ友と呼べる人との出会いも少なく、社会に取り残されたような孤立感を抱く主婦の方も多いのではないかと思いますね。今思えば、嫁に大変な苦労をさせていたと気づきます。(※今となっては後の祭りかもしれませんが)
そんな生活の後に、播磨の奥座敷 宍粟市に戻ってきたのですが、少なくとも私にとっては、思っても見ないほど生活が楽になったと感じました。田舎なので、最新情報は少ないのですが、一応ショッピングセンターもありますし、マックスバリューなどの中型のモールもあります。しかもそれらにはそれぞれタダでとめられる駐車場が!そして、それらの駐車場はどれも大型で、常に満車ということもなく、必ず駐車スペースが空いております。ちょっとしたお出かけでも、少しくらいの間なら路駐をしていても怒られることはまずありません。(※道幅も十分ですし、すれ違うことができさえすれば、いちいちめくじらを立てる人もいませんので)
5分も車を走らせれば、大きな公園がいくつもあります。もちろんほとんどの家には2台分の車庫があります。土地は余っておりますので安いですし、景色もいい。庭もとれる。やりたければ畑も空いてます。
街の人口や学校が多くありませんので、公園で同年代の子供がいたら、望むならば、すぐに親同士の友達づきあいができますしね。
確かに都会に比べると、与えられる刺激は少ないですし、贅沢品には足りないものだらけ。それに、村や隣保の付き合いなど煩わしいと思う人もいるかと思いますが、田舎っていうのは子育てするには意外とやりやすい環境ではないですかね。
前述のような経済的なこともそうですが、人間関係の面でも相談しやすい。街全体は陸の孤島かもしれませんが、規模は小さくても祭りや行事ごともあって、ママ友も出来やすく、個人が孤立するようなことにはなりにくい。都会の1世帯あたりの出産人数に比べ、田舎はやはり多い。うちも子供が3人です。
一番上の子が、小学校に上がってすぐ、PTAで知り合った方に家にお呼ばれすることがありました。その方は山口県出身のご家族でした。『このあたりに変わったお店や名産、綺麗な観光スポットがあったら教えて欲しい』と聞かれたんです。そのとき私は、『この辺りは面白いものなんか何にもないですからね』と答えてしまったんです。そうすると10歳ほど年上ということもあって、そのご主人にコッテリと諭されました。『自分の身近にあるものの良さに気づけない人は、どこに住んでも、それこそ東京にいても、どんな仕事をやっていても、人生楽しめないよ』って。呆れ顔で。
そうして、そのご夫婦からは逆に、播磨地域のいろんな面白スポットを教えてもらって、非常に恥ずかしい思いになったんですね。(※その時の経験を元に、ヤマヒロが毎月出している機関紙『はりまの杜』には、播磨地域の面白いお店120店舗以上をご紹介しております。ぜひ、ご参考にしていただいて、いろいろ訪ねてみてください!)
人間っていうのは贅沢なもので、自分が持っているもの、すでに手に入っているもの。身近に存在しているものを軽く見てしまう傾向があります。(※嫁さんや旦那さんもその一つですね)逆に、自分からは遠く、手に入りにくいものに憧れを持って、ありがたがっている。まさに近くの高僧より遠くの愚僧です。
でも、当たり前にある身近なものには、自分が気づいていないだけで、他人から見れば信じられないほどの価値があるものが実はあるんです。それらはまさにそこにあること自体が奇跡のような“有難い“存在。
まずは自分の家族、自分の立場、自分の持っている能力や技術、そして自分の仕事、自社の仲間やスタッフ、お客様、住んでいる地域などなど・・・。見渡してみると、他の人たちから見たらとんでもなくすごい宝を眠らせてしまっているのかもしれません。これを活かすことができてから、今身近にないものを手に入れることにしても遅くはないはず。
地域の職人、地域の木材、地域の文化やデザイン、見直すべきことはたくさんあります。一軒ずつプランを起こすお客様の家づくりの時にも、そのご家庭の中にしかない素晴らしい習慣や家庭文化、家庭の味など。こういったことこそが、家づくりの仕事で最も大切なことだと考えております。