設計の築山です。これからしばらく建築家吉村順三のことばを紹介したいとおもいます。今日はその11回目です。
一鉢の花
家というのは箱だけど、一鉢の花でもよいからベジテーションが要るということをいうのはそこなんです。どうしても人間は、植物を見るかあるいは水の音を聞くかなどして、そういうことによって人間であるということの存在を確かめる訳でしょう。そういう意味全然そういうことなしの人間というのはあり得ないんじゃないかと思うのです。
建築家は観念的に人間を考えるだけでなくて、人間のためにものを処置する仕事をしなきゃならない訳ですから、そういうものももっと具体的に考えるべきだということなんです。(『新建築』1973年1月号より)
やはり人間は大いなる自然の中で活かされている存在だということを最近は痛感する日々であります。
日常の中にたとえ一鉢の花であっても大事になってくるんですね。