1/1に能登半島で起きた震災。津波もあり、まだまだ被害の全容が見えません。犠牲者の皆様に心を痛めずにはいられません。現地に近い場所にいる、私の建築屋仲間たちへの支援も、道路事情や情報不足で、まだまだ足りていないのが実情です。
1/17は阪神淡路大震災から29年の日でした。あの頃、私はまだ卒業間近の学生で、東京にいました。朝、テレビを見て慌てて実家に電話をかけましたが一向に出ません。まだ固定式電話しかなかった時代です。連絡がついたのは3日後。宍粟市は揺れましたが、みんな無事でした。ホッとしましたが、ニュースで神戸近辺の惨状を見るにつけ、何も出来ない自分に苛立ちを覚えたものです。※神戸に進学や就職をした友人たちの安否がわかったのはその数週間後でした。
その4月に神戸の会社に就職をして5年間。倒れたビルや高速道路、埃っぽい街、なかなか復旧しない交通網に四苦八苦しながら、新米社会人を務めました。街のインフラの大切さ、清潔さもさることながら、人間にとってアイデンティティの重要性を感じる毎日でした。仕事とは何か。生業との違いは?を大いに学べたと思います。
今から13年前に起きた3/11の東日本大震災。4月に第一弾、そこから2ヶ月おきくらいに計4回、支援活動で石巻市に行きました。あの光景はいまだに忘れることができません。多くの人が亡くなった痛ましい災害だったのですが、私の目に今でも焼きついているのは、多くの車や小型船舶や破壊された家々が、波に押し流されひっくり返って突っ込んで、墓地という墓地の数多くの墓石が破壊されていた光景です。この街、石巻市で何代にもわたって家系を紡いできた人たちの心の拠り所までもが、全て破壊された姿でした。あの多くの車の中にいた人たちは、いったいどうなってしまったのか?先祖の供養はいつ再開できるのか?
その後、熊本の震災も起きました。これは直下型の地震で、ここでも多くの犠牲が出ました。建物、特に住宅の耐震性能とメンテナンスに新たな切り口(直下率)が見出された地震だったと思います。耐震性能が高ければ安心・・・ではなく、直下率も非常に重要であると証明されたのですが、未だにこれについての法改正がなされていません。これについては建築屋として憤りを感じる毎日です。
多くの犠牲を出した数々の震災を経て、日本の住宅は進化してきましたが、やはり商業主義なのか、既得権益なのか、はたまた責任転嫁なのか、喉元過ぎればなんとやらで、必要な法改正がされずに終わっているケースもありますね。現代だけに学ぶのではなく、名もない昔の大工の技術にも目を向けてほしいと思います。