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『和』を考えてみます

車を走らせているとこんな風景に出会う時があります。そんな時は携帯で写真を一枚パシャリ。何のことはない草屋根の家なんですが、私は非常に惹かれるんですね。これぞ日本の家!播磨地域の原風景。

この屋根は縄文時代の竪穴式住居からずっと続いています。屋根の組み方は色々と進化をしていますが、竪穴式がベース。まさに1万年のベストセラーデザイン。

今は、洋風住宅、和風住宅、モダンなどなど、住宅デザインの種類が多く作られ、特に洋風に作ることがオシャレと言われます。でも、なぜか障子や畳の間、襖などは無くなりませんし、むしろこの10年ほどは、和を感じさせるテイストが好まれるようになってきております。では一体、この“和”とは何なのでしょうか?

私が大好きな建築家の横内先生が、その作風に対しての向き合い方として書いておられた文章にこんなのがありました。

私が住宅を通じて追い求めるものは、決して何かを模倣した偽物を表す「〇〇風」という意味を持った「和風」ではなく、それは、日本的なるものの総称である「和」の今日的あり方ではないかと考えるのである。

ではいったい「和」とは何を意味するか。まず、一般的には「和」とは住宅においては畳や障子や襖や床の間といった伝統的なエレメントや様式を表すようにとらえられているが、そうではなく、「和」とはそれらによって生み出される空間の質、あるいは精神性ではないかということである。

その本質は言葉そのものに秘められているが、「和」とはすなわち「むつまじい」ことであり、「和らぐ(やわらぐ)」ことであり「和やか(なごやか)」なことである。平穏で、仲よく、落ち着いて、優しい精神状態を重んじる思想であり、そのような心でいられる空間の質をその形式に問わず、「和」と呼びたいのである。

また「和」という言葉には「まじり合う」という意味がある。和音や混和といった言葉で用いられる意味である。さらに「和」はものとものを加えた総体を意味している。つまり足し算の結果としての「和」である。私が注目する部分は実はここであるが、日本的なるものあるいは日本そのものを表す「和」という言葉のもうひとつの意味にものとものを加えた総体という意味があることはとても興味深い。

横内先生はおっしゃります。『縄文と弥生の両文化から日本の基礎が生まれ、中華に学んで律令国家を築き、西欧を学んで近代国家に、戦後はアメリカの影響を受けて復興を成し遂げた。それまであったものとうまく調和を図りながら新しい文化を発展させる力。これが日本なるもの』。

そうなんです。住宅建築をやっているとこのご意見に深く納得してしまうんです。ところで最近教えてもらっているのですが、戦後の思想家であり宗教研究者でもある丸山敏雄さんの著書。これには次のような文章がありました。

愛に満ち溢れて、皆がその所を得た有様を「和」という。いっぱいにたたえた姿、欠けたところがない、うらみも、そねみも、争いもない、満ち足りた喜び、これが「和」である。自然は調和の姿。宇宙は大和の相(すがた)である。

正直、完全に理解してこの「和」に満ちた空間を作れるか?まだまだだとは思うのですが、外国から見た日本の姿、日本住宅の持っている質的なもの。そして、あれだけ洋風がオシャレという風潮だったのに、「和」に戻ってきてしまう日本人の心から求めてやまない空間性。これをますます追い求めたいと思うのです。

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