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ジョン万次郎と聞いて…。

総務の小林です。
今日も私の徒然ブログにお付き合い頂き有難うございます。
さて、皆さんは「ジョン万次郎」という人物の名前を聞いたことありますか?
「ジョン万次郎」と聞いて日本が長い鎖国から開国に向けて動き出した時代に一役を担った人物だと知る人はそこそこの歴史通。

ジョンマンデニム プロジェクトのサイトより

ジョン万次郎こと中浜万次郎は、1827年に今の高知県土佐清水市中浜で生まれ、14歳(1841年)の時に仲間と共に漁に出て遭難します。
数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島に漂着し、そこで万次郎達は過酷な無人島生活をおくるな中、漂着から143日目、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられます。
この出会いが万次郎の人生を大きく変えることになるのですが…
ただ、今回私が紹介したいのは日米の架け橋となり、多くの業績を残した万次郎の功績とは違ったまた別の功績なんです。

あまり知られていませんが、それは皆さんが普段穿いている「ジーンズ」と「ミシン」をアメリカから持ち込んだ人物でもあるのです。
実は私もこちらのルートから知ったんです…(笑)
私が大学生だった90年代はじめ頃、日本から火が付いたデニムのビンテージブーム。
皆さんご存知のリーバイス501XX(ダブルエックス)と呼ばれる1900年はじめから1950年代ごろの穿き込んだ、見た目は汚くボロボロのジーンズが当時、数百万で取引をされていました。
(今でもいい状態のジーンズはそれ位の価格で売買されています)

学生だった自分にはどう頑張っても手も足も出ない金額で、仕方なく安いダメージ加工したジーンズや1950年ごろのレプリカモデル(リーバイスではLVCといいます)を買って穿いていました。
そんなジーンズの歴史を調べる中で知ったのが「ジョン万次郎」だったんです。

同年代を生きた坂本龍馬や勝海舟、福沢諭吉などにも影響を与えたと言われるわりには、歴史上あまり知られていないのですが、先日、たまたまYouTubeで見付け(最近は本当に便利です)、改めてその生涯を見てみました。
ジーンズのことは別にしてもすごい人物なんですよ!

日米の架け橋となった「ジョン万次郎」の生い立ちや功績を詳しく知りたい方は以下のサイトも参照にしてみて下さい。

総務部 小林孝弘

小林 孝弘

小林 孝弘

総務部 部長

資格:二級建築士

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