住宅事業部の北岡です。この間、竹田城の登山で朝来市に行ったときに訪れました。
先に神木畑選絋場跡に行ったのは正解ですね。竹田城の登山後だったら、体力も気力も無くなっていて
行く気にもならなかったと思います。
この遺構は隣町にあった明延鉱山の選絋施設として建設された選絋場跡です。
明延鉱山は戦国時代から採掘が始められ歴史は古く、一時は生野銀山の支山として幕府の管理下に置かれていました。明治11年に神子畑周辺で有望な銀の鉱脈が発見されて発展していくことになったそうです。
現在は鉄筋コンクリートの基礎構造物と、選絋場の上下を結んでいたインクライン後が残されているだけですね。明延から神子畑までをつないでいた「明神電車」も展示していて小春も興味津々。
時代とともに形を変えて日本経済を支えてきた神子畑。現在も残る選絋場跡の迫力を実感できる「東洋一」の産業遺構ですね。
住宅事業部第二課 北岡大実